「普通は」っていうのをやめる!

誰かの常識は誰かの非常識⁉

以前は周りの人に頼み事をして、その仕上がりが自分の思ったのと違った時に「普通はこうするでしょ!」って自分の考えを伝えることが多かった。

愚かなことだが自分が発想出来ることは人も同じことを考えられると勝手に思っていた。


しばらく地方に一人暮らしをしていたせいもあって、身内とのコミュニケーションも希薄だったせいもあったかのかもしれない。


社会での揉め事は自分の正義をごり押ししていたのであるが、戻って来てから家族の寄り合いが増える中、家族とも揉めることが多くなった。

家族とはけんか別れも、断絶も出来ない。


年齢差なのか、男女差なのかと揉める原因を探る中で、ようやく自分と他者は何かを発想する時にまったく考えることが違うのだと気付く。

同じ家族でも、人間でも考えることがまったく違うことに気付いた時にとても笑えた。

みんな違って、それでいい!


そして「普通は」っていう前置きを止めた。

自分の普通は自分の尺度で当たり前と思うことを指すだけで、世の中の共感を最大限得られるとしても6割が限界と思えた。

むしろ自分の普通になど、共感されるとしても3割くらいだろうと。

〇〇侵攻などの負の出来事でさえ、世界中100%が批判的でない状況をみれば当たり前なのだ。

〇〇侵攻などの負の出来事を容認出来ないにしても、世界の多様性を許容することは必要と今は理解している。


自分と他者は違うことを考えながらも、互いを尊重しながら生活していこと思っている。

出来れば『感謝と敬いの気持ち』を持って!

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